■
2004年の夏、1人でモロッコへ行ってきました。目的は、大学時代の友人ナツミを訪ねるため。
ナツミは、オットの会社同期で、彼女を通じてオットに出会いました。私たち夫婦にとっての「恋のキューピット」です。
そんなナツミは、旦那様の仕事(JICA)のため、モロッコの首都ラバトに住んでいます。アフリカ大陸へ行ったことのなかった私は興味津々で訪ねることにしました。
調べたところ、モロッコへ行くにはヨーロッパのどこかの都市を経由するらしい。私は、フランスへ行ってみたかったこともあってパリ経由に決定。航空会社によって費用はピンキリで10万円以上差がありました。私は、その中でも最安値の往復17万円(これでも格安)の航空券をゲット。エール・フランスと大韓航空の提携便のため、ソウル経由でした。
私の職場は海外旅行の申請が必要で、モロッコは渡航許可が出なかったのですが、その頃プチ反抗期だった私は「フランスへ行ってきます」と言ってモロッコにも行っちゃいました。まあ、ウソではないし。。。そして、フランス2泊→モロッコ3泊→フランス2泊に行程が決まりました。
(フランス1人旅については、「2004 France」をご覧下さい。)
フランスに2泊した後、いよいよモロッコに向かいました。
モロッコ行きの飛行機の機内食には、「豚肉は使用していません」のメモ入り。イスラムの国へ行くんだなぁと実感しました。
夜、カサブランカに着くと、ナツミが空港まで迎えに来てくれました。運転手のムスタファと一緒。なんとステキな生活!カサブランカから首都ラバトへは車で1時間くらいだったかな?初日はナツミ宅に着き次第、すぐに就寝しました。
(思えば、この日の午前中は、フランスのシャンパーニュ地方にあるモエ・シャンドンの工場見学をしていたのよね。文明の利器ってすごい!)
2日目は、首都ラバト見学。
ナツミはその頃まだモロッコ在住半年くらいだったけど、共通語のフランス語を話してました。今頃、ネイティブ並みになってるんだろうな。
ムスタファ運転の車で、遺跡、モスク、メディナ(旧市街)に連れて行ってもらいました。
セネガルからの観光客でごったがえす遺跡内。
観光客を撮影する観光客の私。
モロッコには至るところにコウノトリの巣。
野生のコウノトリはモロッコにしかいないらしい。
ムハンマド5世のモスクへ。
メディナは巨大迷路のよう。
歴史地区を歩くと、ほとんどの家の玄関にはドアノックが「手」の形をしている。
これは「ファティマの手」。イスラム教の創始者・モハメッドの娘・ファティマは父親思いで教徒に有名だった。彼女の死後、魔除けや幸運を呼ぶお守りとなり、玄関のドアやアクセサリーに残されている。
モロッコのマクドナルド。看板にある「McSAHARA」が気になる。
イスラムの国というと、みんな黒装束かと思ったけど、違いました。いかにもイスラムな服を着てる人もいるけど、女性でも普通にノースリーブの服を着てる人もいました。だいぶ近代的になってるんですね。
でも、オープンカフェなどに行くと、カフェテラスに座っているのはみーんな男性。やっぱり女性はあまり外に出ないようです。そこは日本や他の国と違うところですね。
夏のモロッコは暑いけど乾燥していて過ごしやすかったです。でも、うっかり外を歩きすぎて真っ赤に日焼けしてしまいました。紫外線はかなり強いようです。
3日目は、車で2時間、世界遺産の古都フェズへ連れて行ってもらいました。
この日は、ナツミの旦那様と友人の女の子も一緒。
フェズのメディナは歴史を感じるステキな所でした。
モロッコ料理と言えばタジン。オリーブオイルたっぷりだったけど、とってもおいしかったですよ。
モロッコでどうしても欲しかったのがバブーシュ。皮でできた、スリッパのような形の靴です。何件ものバブーシュ屋さんをハシゴし、お気に入りをゲットしました。ナツミ、何件も付き合わせてごめんね。。。
4日目、お別れの日です。
今日もムスタファの運転でカサブランカへ。
空港で、ナツミと涙のお別れ。2〜3年で戻るとはわかっていても、やっぱり別れはさみしい。。。出発ゲートに入ってからも、何度も何度も振り返って手を振り合いました。
初めてのアフリカ大陸。アフリカのワイルドなイメージとは違い、人も建物もイスラム色が強く、思ったより整った町並みでした。考えてみれば、イスラム国も初めて。スペインのグラナダでちょっと味わった程度。モロッコのイスラム教は、世間で恐れられている(?)ほど危険な宗派ではなかったようです。時間がなくて砂漠へ行けなかったので、いつか行ってみよう。ナツミ、ガイドありがとね。
そして、再びフランス1人旅に戻りました。