アリとの比較。


昨日、職場に放置されていた新聞を読んでいて、心にとまった記事。


広島大学の西森拓教授らのアリの研究。アリはエサを見つけると、フェロモンを分泌して目印とする。目印に敏感な秀才アリと鈍感なアリがいる。
 驚いたことに、秀才アリだけの集団より鈍才アリがいる集団の方が、たくさんのエサを集められる。秀才アリは脇目も振らず目印をめざすから、新たなエサを発見できない。
 鈍才アリは目印を見失ってウロウロ。しかし、それが新たなエサを発見するチャンスにつながる。」

〜Mainichi INTERACTIVE「千波万波」 3-11より〜
(このあと、記事の作者により「つまり、むやみと帰宅を急がず途中で一杯やる。これは案外創造的行為なんであります。」と締めくくられた。)



人間もアリみたいなものだなぁ。
私に関して言うと、最近、目的もなしに歩き回るということが少なくなっている。自分が秀才アリだというわけではないけれど、目印に向かって一目散に歩いてばかり。人生の目印ではなく、本当に物理的な目印に向かって。「職場へ行く」「家に帰る」「買い物に行く」「料理教室へ行く」とかね。たとえそれが楽しいことだとしても、すでに決まった目標に向かい、それをこなしているという感じ。
でも、たまに鈍才アリのように行動すると、劇的な出会いがあったりする。たとえば、時間つぶしに立ち寄った本屋で身を切られるような本に出会ったり、友人に誘われて行った内容をよく知らないイベントでタヒチアンダンスに魅了されたり。他人から見たらなんてことはなくても、自分にとっては運命の出会いだったりする。目標を定めて行動することも大切なことだけど、直感で行動したときに見つけたものが自分の財産になることも多い。

結局何を言いたいのかと言うと、私はもっと自分の直感にしたがって行動して、直感力を研ぎ澄ます必要があるんじゃないか、ということ。

私は、就職してすぐ入った○○学校で、担任教官に「個性は捨てなさい」と教育された。6ヶ月間の学校生活の中で一番印象に残っている、というかショックな言葉だった。反抗することの許されない世界でその言葉に従ったおかげで、大学時代はどちらかというとトゲのある性格の私も、昔の知り合いに会うと「性格が丸くなったね」と言われるようになった。それが良いのか悪いのかわからない。個性を打ち消すように努力することで協調性を保ってきた気もする。でも、そのせいで直感力がだいぶ鈍ってしまった気がしている。

もちろん、完全に直感力を失くしたわけではない。それなりに直感を生かして見つけた財産もたくさんある。オットなんて、その最たるもの。かけがえのない私の心の財産♪
でも、この春で就職して9年目。そろそろ、もっともっと直感を信じて行動していいでしょう。いい子ぶった「秀才アリ」より、迷いながら直感で道を探る「鈍才アリ」となって新しいエサを集めていきたい。
注意すべきなのは、手広くエサを集めすぎて腐らせてしまわないこと。どうも私は趣味や関心事が「広く浅く」になりがち。集めたエサをしっかり熟成させて自分のものにしないとね。結局は「秀才部分と鈍才部分のバランスが大切」という無難な結論をもって、アリの話はお開きといたします。