〜高台寺「ねね」編〜


「京都に行く」と知り合いに言ったら、「高台寺がいいらしいよ」とアドバイスをもらった。
その人自身は行ったことがないというので、詳しいことはわからない。
  五木寛之「百寺巡礼」第八十八番。
  〜高台寺「戦国女性の思い出を包む堂宇」〜
とにかく行ってみよう。


高台寺円山公園の隣にあり、清水寺にもほど近い。
石畳の高台寺道、通称「ねねの道」をゆっくり歩き、高台寺に続く細い階段を登る。



高台寺

 正しくは高台聖寿禅寺という。1605(慶長10)年に北政所(きたのまんどころ)ねねが 秀吉のために建てた。現在残っているのは秀吉と北政所をまつる霊屋、開山堂、茶室の傘亭と時雨亭(いずれも重文)など。小堀遠州作の庭園は国史跡・名勝。〜ブルーガイドより〜


古風な案内図。


結論から言うと、すごく良かった。
何が良かったのか。
しばらくは自分でも「何だろう。他のお寺とは何かが違う。」ともやもやしていた。
境内を歩いていて、ふと気付いた。
高台寺は、とても人間味のあるお寺だった。


秀吉の亡き後、出家し高台院と号したねねは、秀吉の七回忌を終え、高台寺を建てた。
ねねが暮らし、ねねの思いが詰まった場所。
それはお寺というより家とか別荘におじゃましてるような感じ。


今まで訪れたお寺は、庭とか建物とか仏像とかがメインだった気がする。
でも、高台寺はお寺全体の空気がメインのように感じた。
歩いていると、「ここをねねが歩いたんだなぁ」、
座っていると、「ここにねねが座ってたんだなぁ」、
時々、空間にねねの存在を感じたりした。不思議。


秀吉とねね、2人は当時はめずらしい恋愛結婚だったという説がある。
足軽の娘であるねねにとって、百姓の子である秀吉は格下に当たる。
それでも、ねねは秀吉に何かを感じ、求婚を受けた。
そして、出世していく秀吉を影で支え続けたという。


秀吉は享年63歳。そのときねねは51歳。
その後26年間の長い年月を生きたねね。
彼女は生涯秀吉を愛し続け、秀吉の死後もこの高台寺で秀吉との思い出とともに晩年を過ごした。
そんな、戦国女性の思いが詰まったお寺だった。


順路通りに歩くと、最後は竹林の中を通り抜けるようになっている。
竹林を歩きながら、ねねもそぞろに歩いたんだなぁ、としみじみ思った。
そんなことをリアルに感じられるのが、高台寺の魅力だと個人的に思う。


最後に、境内を案内。
高台寺は少し小高くなった閑静な場所に位置していて、京都の街を一望できる。
境内には、お堂、2つの茶室、2つの池、竹林などがある。
特に、霊屋(おたまや)という廟所には、秀吉とねねの坐像が夫婦むつまじく並んでいて、ねねのおだやかな表情が印象的。
ねねの坐像の下には実際にねねの遺骸が葬られているらしい。


開山堂&霊屋。
霊屋は開山堂より高いところに位置する。


臥龍廊。
開山堂から霊屋に続く渡り廊下の屋根が龍の背中のようになっているところから名付けられた。


茶室・時雨亭。
傘亭とつながっている。


茶室・傘亭。
天井が和傘のようになっている。


人間味があって居心地がよく、時々タイムスリップした気分になるお寺。
また訪れてみたい。


*******

おまけ


ねねの道沿いにある「高台寺まほうや」というお店で、香水「ねね」を売っている。

人々に愛され続けたねねのイメージを、高台寺が主体となって作り上げた香りらしい。試しに少しつけてみると、和風でとげのないやさしい香り。
私は「無香が一番」と思っているので香水はめったにつけない。でも、とても私好みの香りだったので、高台寺に感化されてるなぁと思いつつ購入。
同じ香りのオードトワレも売っていたけど、どうせならと香水を選んだ。
つけたても華やかでいいけど、しばらくしてから香ってくるベースノートの白檀の香りがお気に入り。
アロマオイルの感覚で使ってみよっと。